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GUCCI初心者によるGUCCI入門講座(第9課)

GUCCIが愛した女性たちPart 2 永遠に輝くオードリー・ヘップバーン 前回のグレース・ケリーのほかにもGUCCIが愛したセレブ女性たち、まだまだいらっしゃいますよ。 私たちも、GUCCIを愛するだけでなく、GUCCIに選ばれし愛される女性目指して、今日も勉強を始めましょう。 2)オードリー・ヘップバーン(1929年5月4日~1993年1月20日) 没後20年以上も経つのに、今もなお永遠の輝きを放つオードリー。 オードリーのチャーミングな笑顔、類まれなファッションセンスに加え、晩年はユニセフ親善大使として活躍…その生き方にも私たちは憧れちゃいます! もともと欧米セレブの間ではボランティアや慈善活動は当たり前とされているそうですが、そうは言ってもなかなかできることではないはず… オードリーは、ハリウッド女優の国際社会貢献の先駆者と言えるかも。 年齢を重ねてシワがいっぱいになったオードリーですが、貧しい国々に直接出向き子どもたちを優しく見つめ抱きかかえる姿は、その後のハリウッド女優の生き方にも影響を与えているに違いありません。 「こんな風に歳を重ねられたら、どんなにステキかしら」と。 現在、積極的に社会活動を続けるアンジェリーナ・ジョリー、ナタリー・ポートマン、ニコール・キッドマンたちも、オードリーの強い信念に共感したからかも。 私たちもオードリーに憧れるなら、できることから始めたいものですね…自信はありませんが… 生き方も!バッグも!ぜひ真似したい! そんなオードリー、ラグジュアリーブランドとしては『ティファニーで朝食を』で強烈なタッグを組んだジバンシィや、オードリーのためのバレリーナシューズを製作したフェラガモが有名。 でも、バッグはGUCCIがお好みだったみたいです。 イニシャル入りのバニティーケースはGUCCIでカスタムメイド。 オードリーがGUCCIのバッグを持ちながら街を闊歩する姿や、1972年にはジバンシィとパリのマキシムで食事をした際にもGUCCIを持っていたり、パリでショッピングを楽しんでいるときも手にはGUCCI、1979年にはオードリーがGUCCIのショルダーを肩から下げて雪の上を、傘をさしながら歩いている写真などが残っています。 また、2011年にGUCCIがブランド創設90周年を記念してフィレンツェにオープンした「グッチ ミュゼオ=GUCCI MUSEO」には、1960年代にローマのGUCCIを訪れた際の写真が掲げられているんだとか。 まさにGUCCIが愛した女性の一人なのです。 次回もまたGUCCIが愛した女性について勉強をしたいと思います。 また第10課で。チャオ!

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GUCCI初心者によるGUCCI入門講座(第10課)

GUCCIが愛した女性たちPart 3 おしゃれファーストレディーといえば…ジャクリーン・ケネディ! グレース・ケリー、オードリー・ヘップバーンと続いた、GUCCIが愛した女性たち。 今日は誰についてお勉強しようか悩んでしまいますが、やはりこの方は外せません。 GUCCIのアイコンバッグにその名を残している、といえば… 3)ジャクリーン・ケネディ・オナシス(1929年7月28日~1994年5月19日) アメリカ合衆国第35代大統領ジョン・F・ケネディ夫人としてファーストレディーを務めたジャクリーン。 現駐日アメリカ大使キャロライン・ケネディのお母さまでもありますね。 弁護士でもあるキャロラインのハンパない“できる女”イメージに比べて、ジャクリーンは、 裕福な家庭に生まれ名門ケネディ家に嫁ぎ、ケネディ大統領暗殺後には、 ギリシャの海運王と呼ばれた実業家、アリストテレス・オナシスと再婚(ちなみにオナシスは23歳年上)… “できる女”というよりは“したたかな女”なんて思ってしまいますが、 実はケネディと結婚する前には新聞社で、オナシスが亡くなった後には出版社で働いていたことがあるそう。 24歳で最初の結婚をしたため、新聞社での仕事はわずか2年ほどでしたが、 その才能はファーストレディーになってからも発揮されます。 毎日たくさんの観光客が訪れるにもかかわらず、当時のホワイトハウスには紙切れの案内書しかありませんでした。 それをお粗末と感じた(?)ジャクリーンは、ナショナルジオグラフィック社に、 公式ガイドブック「THE White House; An Historic Guide」を作らせます。 しかも、発売を7月4日の独立記念日に合わせるため、たったの3週間で! ナショナルジオグラフィック側にしてみたら酷な話ですが、それは、瞬く間に数百万部のベストセラーになったそう。 また、2番目のご主人オナシスの死後、ジャクリーンは出版社で働き始めます。 莫大な財産を相続し、雑誌の表紙を飾っていたジャクリーンが本気で働くなど、 当初は誰も信じませんでしたが、1988年マイケル・ジャクソンの自伝本『ムーンウォーク』出版という大仕事を成功させます。 お互いに超がつくほどの有名人で、その言動がすべてゴシップ誌をにぎわせてしまう、 そんなジャクリーンとマイケルだったからこそ成立した契約だったのかもしれないですね。 2009年に再編された「ムーンウォーク」では、マイケルの生みの親で モータウン・レコード創始者のベリー・ゴーディの編集に変わってしまいましたが、 オリジナル版にはしっかりと編集者ジャクリーンによる序文が掲載されています。 というわけで、キャロラインに負けず劣らず、ジャクリーンもしっかり“できる女”なのでした。 “できる女”に似合うバッグといえば…ジャッキー! 現代の“できる女”にぜひ持ってほしいのが、ジャクリーンが愛したGUCCIのショルダーバッグ「ジャッキー」。 1947年に発売されたこのショルダーバッグ、当初は「コンスタンス」と呼ばれていましたが、 出版社で働くジャクリーンが写真に撮られるたびに一緒に写っていたそうで、 ジャクリーンの愛称ジャッキーで親しまれるようになりました。 元ファーストレディーという肩書きだけでなく、 ファッションアイコンとしてジャクリーンが注目されていたことがよく分かる逸話ですね。 現在もセレブに人気の「ジャッキー」は、その後さまざまなデザインで登場しています。 女優のケイト・ブランシェット、ジェシカ・アルバ、エマ・ストーン、ケイティ・ホームズ、 エイミー・アダムスやスーパーモデルのアレッサンドラ・アンブロジオらが、 プライベートでジャッキーをおしゃれに持ち歩く姿がキャッチされています。 あなたも、“できる女”に仲間入りしてみては? 私は、「ジャッキーソフト レザートップハンドルバッグ」狙いです! では、また第11課でお会いしましょう。 チャオ!

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GUCCI初心者によるGUCCI入門講座(第12課)

「天才ミケランジェロ」と呼ばれた二代目 父は反対も、アルドが進めたグローバル展開 前回まで、GUCCIが愛した女性たち、4人をご紹介しました。 グレース・ケリー、オードリー・ヘップバーン、ジャクリーン・ケネディ、エリザベス・テイラー… いつの日か、私たちも彼女たちのように輝かしいGUCCI人生を送りたいものですね! では、そろそろGUCCIの歴史にお勉強を戻しましょう。 忘れた方は、第7課までを復習してください。 今では世界にその名が知れ渡っているGUCCI。 これは、2代目アルド・グッチ=Aldo GUCCIの功績といえます。 アルドは、父グッチオが人生の最期まで反対していたGUCCI世界進出に全力をそそぎました。 それは、フィレンツェに来てくれるお客さまをただひたすら待つのではなく、積極的にアプローチすべきだ!という考えから。 グローバル展開は不要と考えていた父グッチオとは対立してしまいますが、 グッチオが大切に守ってきたGUCCIの品質に自信と誇りを持っていたからこそ、アルドは主張し続け、達成できたのかもしれませんね。 アルドが1953年、海外初として出店したニューヨーク、グッチオの心配は無用でした。 見事人気を博し、アメリカ進出は大成功を収めます。 ジャクリーンの夫、ケネディ大統領はアルドをイタリア初のファッション大使として賞賛、ニューヨーク市立大学からは名誉学位が与えられました。 さらに、アルドは「マーチャンダイジング界のミケランジェロ」と呼ばれるようになります。 イタリア最高の天才ミケランジェロと肩を並べたんですもの、グッチオだって天国で息子アルドを誇りに思ったはずですよね。 アルドの名誉学位も(ご贔屓筋の)ジャクリーンのおかげ? 現代も受け継がれるアルドのマーチャンダイジング

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GUCCI初心者によるGUCCI入門講座(第11課)

GUCCIが愛した女性たちPart 4 天才子役、モテモテ人生、世紀の大女優…エリザベス・テイラー! すっかり季節は、春ですね。 「春財布」って言葉があるのをご存じですか? 同音の「張る財布」(=いっぱい入っているお財布のこと)から、春はお財布を買うのに最適な季節と言われているんですって。 では、GUCCIの新作コレクション「GGキャンバス コンバーチブルウォレット」を買って、早速お財布をいっぱい「張って」みせよう!と思ったら…残念、旧暦のこと!? 来年は1~3月に忘れずに購入したいです! さて、GUCCIが愛した女性たち、今回はハリウッド黄金時代の象徴で「映画史上最高の女優」とも言われるこの方! 4)エリザベス・テイラー(1932年2月27日~2011年3月23日) エリザベス・テイラーと言えば、ミーハーな私としては、やはり7人の男性と8回の結婚をしたことが一番に頭に浮かびます。 今の時代、私も含め、「おやおや1回もできないの?」なんて人もいるというのに、彼女はなんと8回も結婚! 婚約だけで終わった話も表に出ているだけで2回もあるんですって。 79歳まで生きたからね、とも思えるけれど…いえいえ、リズ(エリザベスの愛称)の初婚は18歳! その後、20歳、24歳、27歳、32歳、43歳、44歳、59歳… うーん、すでに私の年齢で離婚も複数回経験しているわけですね。 「すごい」のひと言!

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GUCCI初心者によるGUCCI入門講座(第13課)

日本にGUCCIを広めた男・茂登山長市郎?前編 長市郎「美しいものを売りたい!」 過ごしやすい季節がやって来ました! 梅雨になると濡れてしまうGUCCIが…夏になると干からびてしまいそうなGUCCIが…とてもかわいそうに思えてしまう私。 今のうちに、GUCCIを連れてステキな所へデートでも? 2代目アルド・グッチ=Aldo GUCCIが成功させた世界戦略により1972年、日本にもGUCCIショップがオープンしました。 ところが、実は1964年から日本でもGUCCIは購入できたそう。 GUCCI日本上陸50周年を記念して行われた昨年のイベントは、それにかかわったある男性の功績をたたえたものでもあったのです。 その男性の名は、茂登山長市郎(もとやま ちょういちろう)氏。 くしくもGUCCI誕生と同じ1921年生まれで、インポートセレクトショップの草分け的存在、株式会社サンモトヤマの創業者です。 90歳を過ぎてもおしゃれなポケットチーフを欠かさないモダンなおじいちゃん、いえいえ、おじいさまです。 茂登山氏が初めて一流品の「美」に出会ったのは、戦時中に日本兵と送られた中国・天津でのこと。 「えっ?天津で?」と思う人も多いかもしれません。 しかし、天津は19世紀後半から北京の外港として、 イギリス、フランス、アメリカ、ドイツ、イタリア、ロシア、日本などが設置した租界として、異国情緒漂う街だったのです。 その後、日本の支配下におかれる天津ですが、茂登山氏が到着したころも欧米のものがたくさん残っていたんでしょうね。 戦時中、しかも兵隊さんという身分の茂登山氏でしたが、舶来品に運命的にめぐり会い「美」への情熱が騒ぎます。 日本橋で高級ニットを扱っていた茂登山家3代目という下地があったからかもしれませんね。 先進国と日本の“文化の落差”に衝撃を受けつつも、「生きて帰れたら、こんな美しいものを売ろう」という夢を強く抱いたんだとか。 洋之助「美しいものは、ヨーロッパにこそある!」 日本に無事戻ってきた茂登山氏は、GHQ本部が置かれた有楽町でアメリカ製品を扱う商売を始めます。

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GUCCI初心者によるGUCCI入門講座(第14課)

日本にGUCCIを広めた男・茂登山長市郎?後編 洋之助「買い物はするな。ライフスタイルを見ろ」 前回からの「日本にGUCCIを広めた男」のお話が続きます。 1959年、欧米旅行に出かけた茂登山長市郎(もとやま ちょういちろう)氏。 そこで茂登山氏は、報道写真・デザインの父と呼ばれる編集者・名取洋之助氏(名取氏との関係は前回の本コラムをご覧あれ)の言いつけを守ります。 「買い物はせずに、まず美術館、教会を見て、最高級のホテルに泊まり、最高のレストランに行け。そして彼らのライフスタイルを見ろ」 これが名取氏の命じたこと。 なんだかこれって、初代グッチオを思い出しませんか? 一流を見て、感じて、触って、食して…そんなセレブライフを体験し、理解する… グッチオもロンドンのサボイホテルでセレブと間近に接し、まずは審美眼を磨くことから始めました。 「美」で仕事がしたいなら、これは必ず学ぶべき必修科目なのかもしれません。 ヨーロッパに魅せられた茂登山氏は、ミケランジェロやダ・ヴィンチの息づかいが感じられるフィレンツェ3度目の滞在で、再び運命的な出会いをします。 そう、お相手は…我らがGUCCI! イタリア文化の香り漂うGUCCI、その素晴らしい商品を誇りを持って販売する店員たちに感動した茂登山氏は、「絶対にGUCCIを仕入れて、日本へ広めよう」と新たな夢を抱きました。 しかし、なかなか交渉はうまくいきません。 GUCCIに断られ続け、何度も足しげく通った後、1962年の春、2代目の経営者・アルドの弟バスコ=Vascoに偶然出会います。 熱心な日本人がいる、という噂を耳にしていたバスコは、GUCCIの店内を細かく案内してくれたそう。 案内の最中、バスコが銀のシガレットケースを茂登山氏に渡した時に事件が起きます。 茂登山氏は名取氏から教わった方法通りに、ポケットチーフを使ってシガレットケースを手にとり指紋をきれいにふき取ってバスコに返しました。 その何げない動作に、バスコは「君は物がわかる人間だ。今の扱い方で、大切に物を売っているということがわかった。日本での販売権利を君に託す」と言ってくれたのだそう。 茂登山氏がまるで昨日のことのように鮮明に覚えているエピソードなんですって。

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GUCCI初心者によるGUCCI入門講座(第16課)

暗黒の時代に突入…驕るGUCCIは久しからず・その2 「GUCCI戦争」勃発! 今年も梅雨入りのニュースが聞こえてきました。 気温も湿度も高くなり、ジメジメ、ベタベタでいや?な季節。 でも、私の場合…大好きだったりします。 理由はレインブーツが履けるから☆おしゃれなレインブーツを持っていても、 朝から履いてお出かけできる日ってあんまりなかったりするんですよね。 途中でカラッと晴れた日のレインブーツほどかわいそうなものはない… でも丸一日、雨が予報されるこの時期は心配いらず、 大きな水たまりを♪ピチピチ、チャプチャプ、ランランランと楽しんでみませんか? GUCCIのレインブーツは案外おすすめ。 素材はもちろんラバーですが、レザーブーツに比べてかなりのお手頃価格。 ダブルGが入ったデザインだってありますよ。GUCCIが一緒なら、あなたも梅雨を満喫できそうでしょ。 さて、今回もグッチ一族のお話を続けましょうか。 1980年代になると、2代目アルド・グッチ=Aldo GUCCIの成功をねたみ、 「GUCCIを我が物に!」という強い欲望の持ち主が出現します。 それは、グッチの血族の中でも“激近”な二人… アルドの弟ルドルフォ=Rodolfoと、アルドの息子の一人パオロ=Paolo。 アルドVS.ルドルフォVS.パオロ もともと俳優をしていた7つ下の弟ルドルフォでしたが、 結婚し息子のマウリツィオ=Maurizioが生まれたころ夢をあきらめ、経営に参加するようになります。 アルドが世界展開を推し進める間、お膝元イタリアのGUCCI経営を任されていましたが、 彼はそれだけで満足することはありませんでした。 時に専制的ながらも自分を信じ、GUCCIを世界のブランドに押し上げたアルドと、 その座を狙うルドルフォの確執は次第に根深いものになっていくのでした。 そして、さらにGUCCIのイメージを壊したのがアルドの息子パオロ。 経営方針の違いからアルドともルドルフォともしばしば対立、当時筆頭株主であったルドルフォは パオロに解雇通知を送りつけたりします。反抗を続けるパオロは新たなブランド 「パオログッチ=PAOLO GUCCI」をスタートさせようとしますが、これを阻止したのは誰あろう父アルドでした。 パオロは結局、父親からGUCCIを追放させられるのでした。

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GUCCI初心者によるGUCCI入門講座(第17課)

暗黒の時代に突入…驕るGUCCIは久しからず・その3 アルドから、ルドルフォ&マウリツィオの時代へ 暑くなってきました! 暑い夏といえば、海! 楽しい海といえば、ビキニ! ステキなビキニといえば、GUCCI! でも、現在日本で売られているGUCCIはシンプル過ぎ…これじゃカッコいい金髪美女しか似合わない… さて、2代目アルド・グッチ=Aldo GUCCIの息子パオロ=Paoloの反乱が失敗に終わり、アルドが後に収監される脱税事件の裁判が行われる間に、GUCCIの覇権はアルドの弟ルドルフォ=Rodolfoへ完全に移ります。念願であったGUCCIの実権をようやく握ったルドルフォでしたが、GUCCIの未来を考えると無条件には喜べないワケが彼にもありました。 それは、息子マウリツィオ=Maurizioの妻パトリツィア=Patriziaのこと。 ルドルフォは、パトリツィアがGUCCIの財産を狙い、その美しさを武器にマウリツィオに近づいてきたことを当初から察していました。しかし、ルドルフォの反対を押し切り1973年、マウリツィオはパトリツィアと結婚。2人の女の子アレグラ=Allegraとアレサンドラ=Alessandraに恵まれますが、ルドルフォの心配は的中します。 ルドルフォの不安的中、女帝パトリツィアの登場 パトリツィアは、夫のマウリツィオを社長にするためには手段を選ばぬ悪女ぶりを発揮していました。ライバルであるパオロと手を組みアルド失脚に一役買ったとも言われています。パトリツィアの努力のかいもあって1982年、マウリツィオは社長に就任。 翌年にはルドルフォが亡くなると「邪魔者がいなくなった」と喜んだはずのパトリツィアは、GUCCIの女帝として君臨します。 社長夫人だけでなくデザイナーの夢もあったのでしょうか、自らがデザインしたあまりセンスのよくないバッグを製品化、これが売れずに大きな赤字を作ったりもしたそう。GUCCI好きとしては、どんなバッグだったのかとっても気になるところ。1980年代半ばにはダブルGのバッグが塩化ビニール製で大量生産されたためにGUCCIの人気が低下したという話もあるので、もしかしたらそれが女帝パトリツィアの作品だったかも?と想像してしまいます。 しかし、パトリツィアの時代もわずか2年で終わりが近づきます。1985年3月2日、「出張に行く」と言い残し出て行ったマウリツィオが家に帰ってきません。強欲なパトリツィアに嫌気がさし、若い愛人との暮らしを選んだのでした… 「ここで話が終わらないのがさすがGUCCI?」そんなお話がまだ続きます。 前回、殺人鬼の登場を予告していましたが、次回にしましょう。 宿題:誰が誰を殺すのでしょう? 勘の悪い人でもさすがにこれは簡単な事件かも? では、チャオ!

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GUCCI初心者によるGUCCI入門講座(第20課)

GUCCI復権!トム・フォードの「愛」 Chloeで目覚めたファッションへの情熱 数々のスキャンダルによりその権威を完全になくしたGUCCIを、再び今日のような超一流ブランドに復活させた立役者がいます。 現在では、2005年に立ち上げた自身のブランドでGUCCIをはじめ名だたるブランドを超える存在になるのでは、とささやかれているトム・フォード=Tom FORDがその人。 GUCCIの歴史を語るときに彼を忘れてはいけません。 トムは、1961年アメリカ・テキサス生まれ。若いころはニューヨークで俳優を目指しながら、パーソンズ美術大学に通っていました。同大学は、ダナ・キャランやマーク・ジェイコブス、アナ・スイ、アレキサンダー・ワンら著名なファッションデザイナーを多数輩出。モデルでタレントのマリエさんが留学したことでも話題となった超名門ファッションスクールです。 しかし、トムはそこでインテリア建築専攻というちょっと変わり種。 ファッションの世界へ転向したきっかけは、パリのクロエ=Chloeで1年半の間、インターンシップとしてプレスの仕事を担当してから。「このときの経験が、ファッションに対する愛を掘り起こしてくれた」と後に語っています。 1990年、トムはレディースファッションのデザイナーとしてGUCCIに入社。94年にはクリエイティブディレクターに就任し、すべてをコントロールする立場に。ニューヨーク時代に通いつめた有名ディスコ「スタジオ54」に多大な影響を受けたというトムは、GUCCIの伝統的要素を大事にしながら、大胆かつセクシーに新しいアプローチを取り入れます。

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